古武術と現代競技における
強さの本質の違い
こんにちは!舞動禅 代表の彦根です。今日は、皆さんが普段考えている「強さ」という概念について、根本から一緒に考え直してみたいと思います。
強さとは何か?
洗脳された「強さ」の定義
実は、皆さんが考えている「強さ」というのは、そもそも間違えて植え付けられているかもしれません。私がお伝えしたいのは、古武術の時代における本当の強さです。これは、ボクシングや柔道といった現代競技の強さとは全く異なるものなのです。
現代競技の強さ vs 古武術の強さ
現代競技、例えばボクシングやプロレスの強さというのは、実は古代ヨーロッパのコロシアムという文化から生まれたものです。奴隷同士を戦わせ、死なないようなルールを作って、どちらがより弱るかを見て楽しむ。そうした娯楽の中で育った強さなんですね。
一方、私が教えている強さは全く違います。戦場では360度から矢が飛んできます。2000人の味方と敵が入り混じっている。そうした状況で死なない方法を身につけることが本当の強さなのです。
ボクシングは逃げ続けると見ていて面白くないし、相手は1人しかいない・武器は持たない・急所は狙わない前提なので「撃ち合って耐える」ことが強さとなります。
しかし、戦場では刃物が首筋に当たった時点で死ぬんです。「ジャブ」みたいなものは存在しません。全員、鎧を着て武器を持っているので、打撃の強さも意味がありません。鎧を貫くような矢がくるのに、踏ん張って耐えるのも無意味です。
つまり無意識のうちに、気づかないうちに身体が勝手に矢を避けてくれるとか、もしくはそもそも勝負を挑まれないという状態を目指していくのが、本来の強さなんです。
物理的に強い体の秘密
ここが面白いところなのですが、一見するとうちのお稽古は見た目が柔らかいので、優しい体の使い方を教えているように見えるかもしれませんが、実は物理的にめちゃくちゃ強くなる方法を教えています。
試しにやってみていただければ分かります。敵がいると想定して、拳をギュッと握りしめて「やるぞ、負けないぞ」と構えた時、その握りしめた拳を反対の手で押してみてください。ぐらぐらなはずです。握りしめるほど、体は物理的に弱くなってしまう。
でも、ヒヨコを手の中に乗せて、その小さな命を傷つけないように優しく守るイメージで手を差し出し、その手を押してみてください。めちゃくちゃ強いはずです。つまり、見た目の印象は優しい使い方なのに、物理的には最も強い状態になっているんですね。
これは、スピードにおいても同じです。殴ってやる!と思って動くより、手を洗った後に水を飛ばすように動いたほうが早く動けます。
これは火事場のクソ力と同じ身体の使い方です。うちの舞のお稽古は、いつでもどこでも100%の確立で自由に火事場のクソ力を使えるように練習している、と言い換えても良いのかもしれません。
左脳と右脳、そして自律神経の話
ここで大切なのが、左脳と右脳の違いです。左脳からの指示で体を動かす仕組みというのは、戦いのモード、筋トレのモード。これは「コントロールしよう」という意識が働いています。
一方、自律神経で全自動で動く仕組みがあります。例えばこれを現代に置き換えるなら、ぶつかりおじさんを無意識に避けていて、後から「あ、ぶつかりおじさんだった」と気づく。殺気を感じてすっと避ける。そういう全自動で脳がやってくれる状態ですね。これが合気道や気功やレイキなど、古来の技術が使っている仕組みなんです。
野口整体の活元運動や自発功というのは、まさにこの自律神経で体が勝手に動く仕組みを使ったもの。そして実はこれは古神道の「神がかり」から来ているんです。神がかりというのは、体が勝手に動いていく、固めるのではなく流れるような動きの状態をいいますが、それがつまり日本古来の戦場での体の使い方であり、本当の強さなんですね。
結論:本当の強さとは
つまり、皆さんが本当に身につけるべき強さとは、左脳でコントロールする運動神経的な強さではなく、自律神経で自動で動く古来の体の使い方なんです。殺気を感じて、自分が気づくよりも先に体が避けてくれる。これは、体が空間と調和するという意味です。そうした神がかりの状態が、本当の意味での強さであり、日本古来の強さなんです。
強くなろうとすることは、実は強さではないかもしれない。まずはそうした概念から自由になっていただくことが、本当の強さへの第一歩なのです。
